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2024年5月

2024年5月13日 (月)

WRC 2024 Portugal&1/43 Lancia Stratos 1976 Tour de France No.434 ①

昨日は旅行記をアップしたので触れませんでしたが、先週末はWRC第5戦ラリー・ポルトガルが開催され、前戦クロアチアに続き、オジェが連勝を飾りました。
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今戦トヨタは、スポットでオジェとロバンペラ両名が出場し、正に盤石の体制で臨みました。ラリー序盤は出走順の利点もあり、ロバンペラを先頭にオジェ、そして勝田が続き1~3位を独占しましたが、土曜日にはロバンペラと勝田が相次いでクラッシュ、デイリタイアとなってしまいました。その後は、オジェが追いすがるタナックを振り切って、見事優勝を飾りました。因みにオジェは2010年WRC初優勝以来、ポルトガルでは6度目の優勝となりました。40歳のオジェ、まだまだ勝てそうですね!
一方で、ポイント・ランキング2位のエバンスはなかなかペースが上がらず、ペース・ノートを紛失するミスやスピンもあって結局6位に終わり、粘りの走りで3位となりパワーステージのポイントも加算したヌービルに差を広げられてしまいました。今シーズン、トヨタのエースとして臨んでいるエバンスですが、チャンピオンを獲る勢いはありませんね・・・
また、マニュファクチャラーズ・ポイントについても、タナックが2位、ヌービルが3位となってポイントを稼いだヒョンデがトヨタを逆転してしまいました。
今年のポイント・システムは、日曜日の競技が盛り上がるのでとても面白いのですが、今回優勝したオジェよりもサンデー・ポイントやパワーステージ・ポイントを稼いだ2位のタナックの方が獲得ポイントが多くなっており、今後のポイント争いは予測が難しいですね・・・
特にマニュファクチャラーズ・ポイントは、複数のドライバーが出来るだけ多くのポイントを稼ぐ戦略が必須ですので、トヨタは勝田が頑張らないと厳しいですね。今後に期待したいと思います。

肝心の模型製作ですが、GW中は出勤が続き、その後も旅行に行っていたのであまり進捗していませんが、平行作業中のストラトスのうち、3台分のデカールが貼り終わりました。
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大きな黒いストラトスは、レーシング43の1/24ビッグ・モデル、小さな黒いストラトスはアレナの1/43、そして手前は先日アップしたレーシング43×アレナの1975年スコティッシュ・ラリー仕様です。
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黒い1/43のモデルは、ブルーノ・サビーが1976年のツール・ド・フランスに出場したストラトスです。このボディ形状のモデルはレーシング43には無いので、アレナのキットを素直に組んでいます。なお、実車画像のようなロード・バージョンにするため、ポップ・アップしたライトをジャンク・パーツから切り出して流用しています。
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このキットは、かなり昔に買ってストックしていたのでデカールの状態が心配でしたが、発色&材質は良好で特に問題無く貼ることが出来ました。フロントのルーバー部分のデカールは、切り込みを入れてデカール軟化材で馴染ませてあります。

この後は、もう1台デカールを貼ってからまとめてクリア掛けする予定です。









2024年5月12日 (日)

鹿児島旅行②

鹿児島2日目は指宿温泉で1泊後、レンタカーを借りて薩摩半島を巡りました。
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まずは知覧の特攻記念館へ行きました。非常に重い内容の展示でしたが、当時の社会情勢や教育の下では、全てが狂ってしまっていたのでしょう。なお、知覧が基地として選ばれた理由の1つは、鉄道が通っていたこと(薩南中央鉄道→後の鹿児島交通知覧線)だったと初めて知りました。記念館見学後に知覧駅跡を見に行きましたが、単なるバスターミナルになっていて、残念ながら遺構は何も残っていませんでした。
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知覧の後は池田湖、そして開聞岳周辺をドライブして指宿駅に戻り、JR指宿枕崎線に乗って夕刻には鹿児島市内に到着しました。
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鹿児島での宿泊ホテルは、鹿児島市電の高見馬場電停近くだったので、市電に乗って2日目を締めくくりました。

最後の3日目は、朝から鹿児島市電で鉄分補給です。
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まずは鹿児島市内から最も離れた谷山電停に向かい、折り返してJR指宿枕崎線の南鹿児島駅前電停で下車しました。朝のラッシュアワーの市電は、3分間隔程度で次から次へとやって来ますが、市内から谷山方面も混雑しており、正に市民の足としてしっかりと定着しています。
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谷山線は途中の涙橋電停から専用軌道区間となるので、涙橋~南鹿児島駅前間で撮影開始です。ちょっと残念だったのは、年間1千万人以上が利用する優良市電ゆえ、車両は新車や車体更新されたものばかりで物足りなかったのですが・・・
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最古参の501号が突然やって来ました。この日は運良く、乗務員の研修車として運行していたようです。
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折角の機会なので、涙橋付近に移動してその走りを撮影し、続行の市電で追いかけて郡元電停でも捉える事が出来ました。この後は車庫に戻ったようなので、撮影出来て本当にラッキーでした。
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その後は、運転本数が一番多い高見馬場電停付近で色とりどりの市電を撮影し、鹿児島駅前電停に移動して市電全線乗車を果たしました。
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鹿児島駅前電停付近では桜島が臨めましたが、意外にも市電唯一のスポットだそうです。市電三昧の後は、最後の訪問先である桜島に行くフェリー乗場に向かいました。
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フェリー乗船後は、名物の薩摩うどんで腹ごしらえです。この日の天候は快晴で、噴煙を棚引かせる桜島は本当に美しかったです。
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桜島では、ビジターセンターや国際火山砂防センターに立ち寄り、火山活動の歴史や防災対策、そして火山との共存について学び、その迫力のある姿を随所から堪能しました。正に地球は生きているのですね。

桜島で夕刻まで過ごした後は、フェリー&市電で鹿児島市内に戻って空港シャトルバスに乗車し、鹿児島空港から最終便で帰路に着きました。
鹿児島での3日間、かなり嗜好の偏った行程ではありましたが、天候にも恵まれてとても有意義な旅行となりました。












2024年5月11日 (土)

鹿児島旅行①

もう5月も半ばになってしまいましたね・・・職場が変わってGW中はほとんど勤務だったので、連休明けに休みを取って5/7から3日間、鹿児島旅行に行ってきました。
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最初の目的地は、薩摩半島の西側を1984年3月まで走っていた鹿児島交通枕崎線(旧南薩鉄道)の加世田駅跡です。廃線後40年が経ちましたが、現在でも車庫のあった加世田駅跡に車両や鉄道遺産が多数保存されています。
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旧駅構内には、石積みの倉庫跡を利用した記念館があり、車両の銘板や駅名標、記念切符、そしてさよなら運転時のヘッドマークや写真など、貴重な鉄道遺産が多数展示されていました。地方の民間交通事業者が、40年以上に渡ってここまで整備・保存しているのは非常に珍しく、その取り組みには頭が下がります。
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一方で、屋外に保存されていた1926年日本車輌製SL4号機とディーゼル機関車DD1201は、長年風雨に晒されて腐食が進み、かなりヤバい状態です。4号機については、第二次世界大戦中に空襲を受けた時の弾痕がキャブに残っているのですが、それが判らない程に車体は痛んでいました。40年の歳月は厳しいですね・・・
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車両については、屋外以外にバスの整備庫内で、1913年ドイツ・ハノーバー製SL1号機、2号機、国鉄キハ07形のオリジナル版キハ103、ディーゼル機関車DD1202、そして珍しい1,067mmゲージのKATOがしっかりと保存されていました。
どの車両も綺麗に塗装されて破損も無く良好な状態で、整備員の方に許可を頂き、じっくりと観察することが出来ました。ただ、車両が詰め込まれている上にバスの部品やタイヤが車両の廻りに散乱していてちょっと見辛かったのは残念でしたが、この状態で保存されていることに感謝しなければなりませんね。
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車両については、加世田駅跡以外に加世田運動公園にもSL12号機が保存されていました。以前はかなり荒廃していたようですが、昨年秋に修繕されたそうです。こちらは国鉄C12と同型機ですが、戦時形の角型ドームは国鉄には無かった仕様です。
各地の保存SLが維持出来なくなって相次いで解体されている中で、よくぞ残してくれたと思います。

鹿児島交通枕崎線については現存時代に行きたかったのですが、当時は旧型国電を撮るのに忙しく、先送りしているうちに1983年6月の水害で被災して路線の大半が不通のまま廃止となってしまい、訪問しなかった事をとても後悔していました。
その後の状況もずっと気になっていて、いつかは行こうと思っていたのですが、ようやく思いを果たす事が出来ました。
廃止から40年が経ち、鉄道が走っていた時代を知る地元住民もかなり減っている中で、これだけの鉄道遺産が未だに残されている事に驚きを感じます。それだけ南薩鉄道は地元に愛されていたのでしょうね。

加世田駅跡訪問の後は、かつての鉄道路線に沿って路線バスで枕崎に向かいました。
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枕崎からは、路線の存続が話題となっているJR指宿枕崎線に指宿まで乗車しました・・・鉄分濃い目の旅ですね・・・
1日6往復しか列車の来ない線路は草むしています。乗り心地は線路や路盤の悪さが体感出来るほど悪く、沿線の樹木も伸び放題で原野をかき分けながら走っているような状況でした。
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海沿いを走っているにも関わらず、起伏の多い丘陵地帯の区間が多く、車窓から海が見える場所はあまりありませんでしたが、’薩摩富士’と呼ばれる開聞岳は随所から見えました。日本最南端「西大山駅」からの眺めも素晴らしかったです。
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枕崎から1時間20分程で指宿に到着して薩摩半島の西側を巡った1日目が終わり、この日は指宿温泉に宿泊して砂風呂を体験しました。

続きは後ほど・・・








 








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